『牯嶺街少年殺人事件』236分、あなたは14歳になる。

映画。

約4時間。
ずっと気になっていた『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』をようやく観た。

これは”観ておかなければならない一本”と聞いていたが、
タイミングを選ぶよね。笑

クー嶺街少年殺人事件を観る | Netflix
1960年代の台湾。10代の少年と彼が思いを寄せる少女は、不良グループの暴力や社会の激変に巻き込まれながら、それぞれの変わりゆく自我に直面す…

あらすじ

1960年代の台湾。

夜間中学に通う小四(シャオスー)は、小明(シャオミン)との出会いをきっかけに、
少しずつ不良グループ同士の争いに巻き込まれていく。

学校や家族、さまざまな人間関係の中で揺れ動く少年たちの日常。
さまざまな出来事が積み重なった先に待っているのは、
実際に起きた少年殺人事件。

約4時間かけて描かれる、ひと夏の青春群像劇。

観終えて思ったこと

…長いっ!!

でも、この長さが見終えた後に、
とんでもない余韻を残していく。

押し寄せてはやまない、このなんとも言えない感情。

初々しさに心が弾んだかと思えば、
現実に引き戻される。

この余韻に名前をつけられない。

観ている間は、泣いたわけではない。
傷ついたわけでもない。
悲しかったわけでもないのに、
観終わった後がずっと胸が苦しいのだ。

台湾映画に馴染みがないばかりに、
あだ名や名前、地名なのかグループ名なのか、
わからなすぎて大変だった。

正直いまも分かっていない。笑

それが分からなくても、
押し切ってくる強さがこの作品にはある。

分からなくてもあのヒリヒリ感やドキドキ感、
危うさと繊細さは分かるから。

観終わった後は、
「どうすればよかったのか。」
そのことばかり考えてしまう。

傑作と言われる理由が、少し分かった気がする。

ネタバレあり感想

止まって欲しかった時間。

ハニーが亡くなり、
落ち込んでいるシャオミンを追いかけるシャオスー。
ブラスバンドが練習中のホールでのあのシーン。

「僕は一生離れない。君の友達だ。守ってあげる…」

背伸びした気持ちと、
子供ならではのどストレートな言葉。

「守ってあげる」っていう一番言いたいであろう言葉の時に、
演奏が急に止まり、声が尻すぼみになる。

シャオミンはまだ受け止めきれなかった。

こんなムズムズするようなもどかしさにキュンとした、
心だけ14歳に逆戻りしたオトナ(私)が、通りますよー。笑

その後もシャオスーの周りでは色々な出来事が、
静かに、少しずつ過激さを帯びていく。

初めてのキス。
父親の尋問。
不良グループの抗争。

静かだった日常は、少しずつ違う空気をまとい始める。

そんな出来事を経て迎える、保健室でのシーン。
シャオミンが「この間、言ってたこと本当?」とシャオスーに問う。

あ・と・か・ら・パターン!(滅)

シャオミン…くすぐり過ぎだよ、オトコゴコロ。
こんなことわたしには、出来ない。笑

この保健室のシーンがとても美しく、頭から離れない。

窓から差し込む光が、やけに明るく柔らかく感じた。
2人の間に流れる沈黙や、
何気ない仕草まで、たまらなく愛おしい。

今この世界には、シャオスーとシャオミンしかいない。

そんな錯覚をしてしまうくらい、静かで優しい時間だった。
…どうか、この時間だけは止まっていてほしい。

シャオミンって、何者?

シャオミンが素朴すぎて、
え?この子が?なんて思っていたけど、

観ているうちに、
あの可愛さと大人っぽさに夢中になる。

はい、それが全ての間違いでした。

同級生や先輩、医者などと関係を持っていることが発覚し、
私はもうなにも信じれなくなっていくわけで。笑

心だけ14歳に逆戻りしたオトナ(私)まで、
翻弄しないで欲しい。笑

大人の私ですら、
シャオミンに腹が立ってしまったんだもん。

そりゃあシャオスーだって、
冷静ではいられないよ。

そしてそれは、事件の時の彼のセリフでハッキリする。


「僕だけが君を救える。」
「君はダメなやつだ。恥知らず。」
「君は死なない。信じてくれ。早く立ってくれ。」

私の心は、シャオミンとシャオスーの会話に囚われたまま、
シーンが変わっても頭に入ってこない。

シャオミンの言葉を思い出す。
「私を変える?この社会と同じ。変わらないのよ。」

あれ序盤でも言ってたよね。
「私はハニーに忠告するの。この世界は変えられないと。」

私は誤解していたのかも。
シャオミン…大人すぎる。
いや、ちゃんと現実に生きている。

私は14歳の頃なら、
世界は変えられると思っていたよ。恥

シャオミンもシャオツイも、
14歳で「世界も人も簡単には変えられない」と分かっているなんて、
カッコ良すぎる。

女の子たちの方が大人びていると思ったけれど、
14歳でそこまで達観してるなんて、反則だよ。笑

…そりゃあモテるわ。笑

236分の意味。

観終えた後の、
このなんとも言えない感情はなんなんだろうか。

きっとシャオスーもシャオミンも、
その時その時を普通に生きていただけだよね。

というか、私たちも同じか。
その時その時を生きている。

「これがいつか起こるナニカにつながる。」
なんて思いながら生きているわけじゃない。

あとから振り返って、
「あぁ、あそこでこうしていれば…」と思うことはあっても、
その時はただ、その日を過ごしている。

……この映画が約4時間ある理由って、
もしかしてシャオスーが生きていた日常を、
体験させるためだったのでは?

この作品は終始淡々としていて、
それは最後まで変わらない。

それが優しさというか、鋭さを感じて結構キツい。

そして子供でも大人でもない、
思春期の危うさがずっと付き纏っている。

シャオスーがホアトウとつるまなければ…?
シャオスーがシャオミンと出会わなければ…?
シャオスーが中学受験に失敗していなければ…?

そんな”たられば”を何度も考えてしまう。

「どこかの瞬間が違っていたら、この結末にはならなかったのか。」

いろいろ考えたけれど、
どこか一箇所が違っていたとて、
結果は変わらなかったような気がする不思議。

それを236分かけて描いていたのかな、
というところで私の心は落ち着いた。

…いや、
落ち着いたんじゃない。
無理矢理、落ち着かせようとしただけかもしれない。笑

余韻が長すぎる。

私は正直、
こんな14歳体感アトラクションはイヤです。笑

✏︎勝手な、偏愛視点。

後半になるにつれて、
「今、シャオスーの表情を見せてくれ…!」
という場面が増えていった気がする。

映るのは、シャオスーと対峙した相手の表情ばかり。

だから観ていて、とても歯痒いのだ。
シャオスーが何を思っているのか、分からない。

カメラよ回ってくれ…!
って、何度思ったか。笑

このもどかしさが、
事件に向けて少しずつブーストをかけているように感じて、
なんともイヤな気持ちになる。

…まぁ、わたしの思い込みかもしれませんけど。笑

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